ギター一本かかえて歌いながらの諸国一人旅、というライフスタイルは、ミュージシャンにとって、一つの理想の姿ですが、実現している人は滅多にいません。ミチロウさんは、もう長いことそれを続けている。いいなぁ、すごいなぁ、リスペクト!みんな(ミュージシャン以外も)が憧れる生き方、歌の旅人、その記録は、海、空、風、そして臓物までが輝いていて美しい。

大槻ケンヂ(ミュージシャン・作家)

ごく一般的な家庭で育ったパンクスなら誰もが経験したと思われる、「親と仲良くするなんてカッコ悪い」という中二病的な発想をベースとした、母親との微妙にきまずい関係。65歳になったいまでも母親との微妙にきまずい関係を続けているミチロウさんが、なんだかすごい身近な存在に思えてくる映画でした。「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」と歌い続けたミチロウさんの嘘つき!

吉田豪(プロ書評家・プロインタビュアー)

闘い続けている男がいた。
ギターを肩に担いで ハーモニカを小脇に抱えてたったひとりで旅する男がいた。
母の前で頭を下げた男がいた。
自分が自分自身の証言者になった男が今を生きている。
遠藤ミチロウイェーイ♫

竹中直人(俳優・映画監督)

ひと粒ひと粒が、アノ顔、ニュートリノ=ミチロウは、♪お前なんか知らない♪と、凹凸容赦なく、その胸に、スガリツキ、透過することなく、ソノママ、懐かしく、住みついてしまうから、まったく、オソルベシ。

それにしても、流石、不滅の遠藤兄弟、弟モ、名歌手ダロ、名監督ダロ。そして、演奏者達もお友達も瓜坊も、皆んな、カワカッコイイ、快い、佳い、映画ダ。

ところで、映画の中で、お母さんからいただいた、御祝儀袋には、いくら入ってましたか、モウ、いい加減使ってしまいましたか。

象形文字で歌い引っ掻き叩く言音一致の純音楽家
エンケン=遠藤賢司

本物はブレない。
その理由が映っている。
パンクの王は、監督の腕もブッ飛んでいる。
やられました。

豊田利晃(映画監督)

この映画でミチロウさんを知れば俯きがちな私やあなたの顔は空や海やいままでかかわらなかった人たちにきっと向く。ミチロウさんの旅路にすぐそばで同道しているような錯覚がなんと気持ちのいいことか。観るべし、必ずや。

阪本順治(映画監督)

ミチロウさんの歌は、僕に生きる希望も死ぬ勇気も与えてくれません。
ミチロウさん、いい加減あなたの声を忘れさせてください。

銀杏BOYZ 峯田和伸(ミュージシャン)

ありていに直裁だがそのままを言おう。ミチロウは、おそらくやこの国の最後の、慎みふかい砦なんだ。ミチロウの「ミ」は孤児(みなしご)の、みではなく、そしてこのはじめて撮った銀幕にはひとかどの人物となったミチロウの傷も映っているけど、昏倒してもまた起ちあがれる未知なる「道」を往く足音がきこえてくる。
秘境にさえつながるそんなにも奥の細道をミチロウは、いまもあしたもあるいている。

山崎春美(作家・編集者・ミュージシャン「ガセネタ」「TACO」主宰)

ミヂロウさんが
お母さん
お母さん、ど玄関でお母さんを呼んでいる。
どぎどぎしたなあ。
正直者で真面目なミヂロウさんがおっかねぇ声出して叫んでいる。
オラは不真面目でナマケモノだなあ。
まだこの夜も叫んでんだなどっかでミヂロウさん。
オラも叫ぶぞ
東北人なめんなよ、
つうて。

白崎映美(歌手)

ミチロウさんと音楽、
ミチロウさんと福島、
ミチロウさんと人、
ミチロウさんと猫、
ミチロウさんと、お母さん!
ミチロウさんの、旅路。命。

60年間の魂の生き様。
2011年のミチロウさんが詰まってる。
とてつもなくやさしくてかっこよくていとおしい美しいひと。
たくさんのひとに目撃してほしい映画です。

石井麻木(写真家)

遠藤ミチロウは語る。語ったことが実行に移される。ギターを担いで橋を渡る。橋の向う側には夜がある。夜の中にはたくさんの顔があり、そこに頭から突っ込んで行く。歌が始まる。
母親と縁側で写真を撮る遠藤ミチロウの顔には、たくさんの自分を脱ぎ捨てて来た男の自信のようなものがある。

友部正人(ミュージシャン)

ドキドキするんです。稚拙な表現でお恥ずかしいのですが、ミチロウさんの生み出すものに触れるとドキドキするんです。
本作も冒頭からドキドキします。
観終わった後は、ついにミチロウさん自身の臓物を投げられた気持ちになり、またドキドキしました。ミチロウさん、これからもさらに僕たちをドキドキさせて下さい。
あと今度ネコの話しましょう。
グループ魂を代表して。

石鹸(グループ魂)

コンプレックスの塊の俺でしたがこの映画を見てコンプレックス持ちも悪く無いなと思いました、ミチロウさん歌ってくれてありがとうございます!メッセージくれてありがとうございました!!

P.S.渋谷イーストでのスターリン復活の時は楽屋、会場全てがピリピリしていましたがライブ終わり楽屋前でミチロウさんが俺を見つけて「あっ!あっちゃん!ワイドショーに出たパンクバンドはロティカとスターリンだけだね」と楽屋は大爆笑でした。

ニューロティカ アツシ(ミュージシャン)

昔、ミチロウさんと旅をした事がある。
アリゾナの砂漠の果てにホピと言う人達が居て、彼らに会いに行ったのだ。
ホピとはネイティヴアメリカンの言葉で平和を意味する。彼らはアメリカ文明の中で取り残され忘れ去られようとしている人達であった。
僕らは彼らに会い、共に歌い、彼らを知った。
あれから23年の月日が流れたがミチロウさんは今も旅を続けている。
忘れ去られようとしている人達に寄り添うように歌い続けている。
だからミチロウさんの歌は優しい。
絶望的な状況の中に居る人に程、ミチロウさんの歌は届く。
真実を見つめ続ける事は過酷であり、そして嫌という程孤独を知っていなければ真実を見つめ続ける事は出来ない。
世界はどんどん荒廃し、人類はホピの予言通りに滅びの道を着々と歩んでいる。
それに反比例するようにミチロウさんの歌が輝きを増して行く。
そして僕はもう一度ミチロウさんに問う。
ミチロウよ、あなたは何処から来たのか?

高橋和也(俳優)

映像という形でこんなにも優しく吐露している遠藤ミチロウの姿を誰もが待っていた。
このドキュメンタリー映画はミチロウさんのあたらしい歌だ。
幕が上がっても、幕が下りても、いかなる時でも、等身大のまま移動を続ける
ひとりのミュージシャンの孤独と葛藤と笑顔に満ちたあたらしい歌だ。

三角みづ紀(詩人)

老いに朽ちかけようとも
病に細ろうとも
風に削られようとも
波に歪められようとも
空に途方に暮れさせられようとも
郷を壊されようとも
呼吸を汚されようとも
声を傷だらけにされようとも

在る灯台
在り続けてきた灯台
在り続けていく灯台
遠藤ミチロウという灯台

“とある一つの”ではなく
“唯一”の

“誰かにとっての”ではなく
“我々の”

行き先が在りました

竹原ピストル(ミュージシャン)